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和菓子は、四季の移り変わりとその中で受け継がれてきた風習、慣習において、日本人にとって深いつながりを持った「日本の文化」です。しかし、現代はライフスタイルの多様化や、行事の簡素傾向、菓子類の多種化もあり、和菓子そのものの成り立ちや由来が徐々に薄らいできているように感じます。これからも和菓子にたずさわり、文化を引き継いでいく者としての自覚を持ち、より多くの世代に和菓子を味わい、楽しんでいただけるよう、精進してまいります。
Japanese sweets is "Japanese culture" that has been inherited for a long time in our seasons and customs . In modern times, I think diversification of lifestyle, simplification of events and diversification of confectionery have caused the origin of Japanese sweets to be gradually becoming change. I will continue to make Japanese sweets in order to encourage many generations to taste and enjoy ones with awareness as a person who hangs on Japanese culture.
関市虎屋の長男として生まれる。和菓子がいつも身近にあり、家族が和菓子にたずさわる姿を見て育つ。高校卒業までに和菓子屋を継ぐ決心をする。大学を卒業後、大阪市住吉区の和菓子店「喜久寿」で5年間修行を積み、食の人間国宝である伊藤誠造氏に師事。平成14年に有限会社虎屋に入社。平成24年に代表取締役に就任。
Born as the eldest son of Seki Toraya. Grow up watching family members works. Decide to socceed a Japanese sweets shop. After graduating from university, studied for five years at "Kikuju" in Osaka city. And studied from Mr. Seizo Ito, a national treasure of food. Joined Toraya in 2002. Inaugurated as Representative Director in Heisei 24.
和菓子処 関市虎屋は、昭和9年創業の和菓子製造販売店です。関市本町通り商店街で、80年余りお店を構えています。関市の伝統的な刃物文化や、小瀬鵜飼、円空など、この地にゆかりのある和菓子や、お祝い事、弔事、法要のお茶菓子、引き物用の和菓子、日常の家庭用の朝生菓子などを取り扱っています。また、贈り物として全国発送もお受けしています。
創業者の古田豊次は、岐阜市内の和菓子店で修行を積み、のれん分けをしていただく形で、昭和9年「虎屋菓子舗」を開業しました。当時は、和洋菓子、駄菓子、氷菓子を販売していました。
ニ代目古田博文は、和菓子に力を注ぎ、やがて和菓子専門店「和菓子処 関市虎屋」として市内、県内のお客様に名を知られるようになりました。この頃からの、地域の観光資源をモチーフにした独自の銘菓づくりが功を奏し、現在の虎屋の形をつくりました。
平成24年、三代目の古田敦資が代表取締役に就任しました。地域だけにこだわらず、和菓子の本場で学んだ知識と技術を活かし、商品の品質向上に努めています。それだけにとどまらず、変わり続ける時代とニーズの中で生まれる、新しい和菓子文化の展開に尽力しています。
虎屋の味をお認めいただきました。